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京丹後のリゾートマンション『セバーグ由良』のコミュニティブログです
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月4日(木)

四十七年間に渡るスイスでの生活を振り返って()

                  セバーグ由良住民  高橋洋二

由良宮本に移住してから、今年の四月で早や三年になります。妻共々、念願だった海の見える「終の棲家」を丹後由良という歴史ある村に選びましたこと至極の幸せです。

スイスのジュネーブ州より、移住して以来、一日として同じ表情を見せない由良海岸の変化に飽く事無く、毎日海を眺めながら幸せな日々を送っております。

治安が良く、親切で優しい村の人々に恵まれ、平和で満足な生活が送れる、「今」と言う此の「至福の時」に日々感謝しなしております。

誰もがそうであるように我が人生を振り返れば、波乱万丈だと自負しております。

日本で出生しましたが約半世紀は、スイスでお世話になりました。

日本が第一故郷だとすれば、スイスは第二の故郷です。

スイスは九州程の国土で、人口が約760万人です。永世中立国として、欧州共同体にも加盟せず、今なお陸の孤島を維持し、スイスフランという強い通貨を武器に、欧州内でも屈指の経済力を維持しています。

物価は高いが給料も良く、欧州内でも高い生活水準を誇っているスイス国で、長年、生活体験を、させて頂きました事、同国への不思議な縁を強く感じます。また、当時日本から遠く離れたスイスで、一生を共にする妻、美津枝と出会ったのは運命的です。

ジュネーブ生まれの三人の息子達は現在もスイスに永住し、お世話になっています。同国に対しましては、日頃より尽きせぬ感謝の念で、一杯です。

思えば、遡ること約50年。昭和421月初旬に、横浜港より地中海沿岸に位置する、フランス屈指の古い港町、マルセイユ間を定期運航していた、定期客船に乗りスイスへと向かいました。最初の寄港地は香港だったことを鮮明に覚えております。

その後、フィリピンの首都マニラ、タイのバンコック、シンガポール、マラッカ海峡を渡りインドのムンバイ(ボンベイ)、スリランカの首都コロンボに寄港し、一気にインド洋を横断、東アフリカと中近東に挟まれた幅の狭い紅海を進み、突き当たりの地スエズ運河に到着しました。

紅海は、幅が狭く両岸は赤茶けた砂岩の連続で、緑も無く、生き物の気配も全くありません。どんよりした海面には、波も無く始めてみる不気味で、不可思議で神秘的な荒涼とした別世界でした。「紅海」と名付けられた所以が何となくわかりました。

スエズから対岸の地中海へ向かう多くの貨物船が順番待ちの為、約一昼夜の待ち時間がありました。その時間を利用し、私は同船者たちとエジプトの首都カイロ観光に参加しました。ナイル川に面したホテルにて昼食後、人々で賑うバザール、ギザに在りました。人間の顔を持ち、身体はライオンのような不思議なスフインクスとピラミッドを始め、膨大なエジプト古代王朝の発掘遺跡を展示するカイロ国立博物館等を見学しました。

夜は郊外の砂漠に設営された大テント内で、中東の粒揃いの美女たちが、怪し気に踊るオリエンタルダンス(お臍を出して踊る艶めかしい腰振りダンス)のショー付き夕食会が真夜中過ぎまで催され、若僧である自分にとっては、過度な刺激に度肝を抜かれ、困惑しました。

遅い夕食後は、ひたすら地中海側のポートサイドの港に向かってスエズ運河沿いを、真暗闇な街道をバスでひた走りました。途中で自分たちの船を追い越し、地中海側のポートサイドの港で船と合流し、そこからは一気にマルセイユの港まで一昼夜かけて到着しました。香港以南の東南アジア、インド洋、紅海の突き当たりスエズまではエジプトも含め、夏の気候でしたが、地中海に入るや否や冬の気候となったことには心底驚きました。

私にとっては、何もかも驚きの日々でした。未知の世界に身を委ね、無事にヨーロッパ大陸の最初の土地マルセイユ港に上陸したのは29日でした。

マルセイユ上陸後、その日の内に、鉄道で地中海沿岸の保養地、ニースの町に移動し一泊し、夜は華やかな大カジノを見学しました。翌日はニースの空港から、飛行機で、ヨーロッパアルプスを飛び越え、私が人生の半分以上を過ごす事になる目的地ジュネーブの空港に無事到着しました。昭和42210日、30日以上に及ぶ長旅がようやく終わったのです。

現代では、ジュネーブまで、これだけの時間を費やして行くことは想像できないと思いますが、お金もない若僧にとっては生死を賭けた長旅だったのです。

あれから約50年、我が国は諸外国とも友好関係を築き、ヨーロッパ諸国との往来も不自由がありません。このような現実を当たり前だと思わずに、みなさまも改めて日本国に対し感謝の念を抱いていただきたく思います。約半世紀を国外で暮らした、私の想いです。



着陸態勢に入ったレマン湖上空から見るジュネーブの町は珍しく、自分の予想以上に、整然煌びやかでした。静かな佇まいでレマン湖の西端に位置するジュネーブ州はフランス国と陸続きであり、所々には、モヤが煙り、これが、想像していた、ヨーロッパの箱庭と呼ばれるスイス国の一地方都市ジュネーブなのかと驚愕いたしました。湖岸に佇む、その冬景色は誠に強烈で、今でも私の脳裏に、しっかりと、焼き付けられております。その時の感動と印象は、生涯の忘れることはありません。

思えば、横浜港を出港して以来、好奇心旺盛な若僧だった自分にとっては、毎日がこの上ない興奮の連続でした。見る物、食べる物、途中の港で乗降船するアジア人達等、何もかも未知の世界です。食事中のお皿が容赦なく横滑りする程の猛烈な船揺れは、吐き気と食欲不振を誘発します。

この船酔いは言葉で表現できません。また、各寄港地での約二十四時間程度の停泊時間を利用しての寸暇を惜しむ市内見物等、怖いもの知らずの当時の若さを思い出すと、冒険心、好奇心、無鉄砲だった青春時代が懐かしく思えます。また、今となっては全く無防備で怖いもの知らずの当時の自分を思い起こし、本当によくも命を落とさず、無事に由緒ある由良の良き土地に運よく辿り着いたものだとの思います。

73歳となった今、自分の未熟で若かりし頃の姿を思い起こし、誠に感慨深いものが有ります。苦しかった事も多々ありましたが今となってみれば、全てが懐かしく、良き思い出、貴重な財産となりました。

その後、二度と繰り返す事の出来ない47年間に渡るスイス生活の始まりとなりました。

自分史内の追憶の一駒の宝となっている事を、由良の海を眺めながら、時折懐かしく思い起す今日この頃の心境です。



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