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京丹後のリゾートマンション『セバーグ由良』のコミュニティブログです
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9月21日(木)

みんさん、こんにちは~(^^♪
シルバーウィークの三連休は台風直撃で残念でした(/o\)
由良に行くこともなく自宅で過ごしました。

本日は高橋洋二氏に依頼し、5月4日に当ブログに掲載いたしました「自叙伝」の続きを書いていただきました。

高橋氏の波乱万丈の人生をご覧ください。



「47年間に渡るスイスでの生活を振り返って(2)」
                       セバーグ由良住人 高橋 洋二

さて、ジュネーブでの新生活が始まった訳ですが、私にとってラジオ・テレビ・日常会話も含めフランス語は雑音以外の何物でもありません。

意思疎通の手段を失った歯がゆさと無力感がストレスとなり、想像を絶する厳しさを体験することになりました。

人と意思疎通が出来ない事がこんなにも辛いのかと、つくづく感じた時期でした。

当時は孤独という二文字だけが私の友人でした。

レストランやコーヒー店にいくと、周囲の客が実に楽しそうにお喋りをしたり、大声で笑っているのですが、その状況が段々と自分のことを話題にして笑っているのではないか?という強い被害妄想に襲われるのです。

会話もできぬ孤独感ゆえ、自分は透明な籠に閉じ込められた「カナリア」ようでした。

無気力、絶望、劣等感・・・半ばノイローゼ状態に陥ってしまったのです。

幸いにも実母は、スイス人と再婚しており、寝る事と食べる事の一大事を支え守ってくれました。

当時の自分の置かれた状況を振り返れば、スイスの両親の存在を無くしては、自分のスイスでの47年間は存在しなかったのでは、との両人に対する感謝の念でいっぱいであります。

スイスの両親の支えに加え、自分の若さと好奇心が、このような状況を克服する原動力になったのです。

この頃より、午前中はフランス語の学校、午後はアルバイトをはじめることにしました。

ジュネーブ到着以来、周りの環境は全て珍しく映りました。

衣食住のみならず、特にレンマ湖畔をそぞろ歩く女性は皆足首が細く、それぞれ個性豊かなファッションでした。

その女性たちの背筋をピンと伸ばした姿は、優雅にしてスタイルも良く且つ美人が多く、若造の自分は圧倒されました。

それもそのはず、ジュネーブ州に居住する外国人は、州の人口の40%にもなります。

日本政府を含む190か国以上の各国政府代表の外交官たち、各種国際機関に勤める国際公務員とその家族が住む国際都市としてのジュネーブですから、ありとあらゆる人種が住んでいるといっても過言ではありません。

外国語の言葉というものは不思議なもので、日常使わなければどんどん忘れてしまいます。

逆に記憶として蓄積されると、言葉として自然に自分の口から出てくるのです。

滞在3年目頃からは、徐々にフランス語が理解できるようになりました。



                                    以上

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